合格しても、不合格でもこの言葉だよ
- AKIKO
- 2月26日
- 読了時間: 3分
更新日:6月1日
『喜びだけくれる娘よバラ色の夏至の夕ぐれお前のえくぼ』
あまりにもよい子の娘に、こんな短歌を作っていい気になっていたものの、
私の母親としてのメッキがはがれたのは、高校受験の時だ。
第一志望に不合格になった。
信じられない、と思ったが、
その時にはまだ私にも理性があった。
第二志望の高校に不合格になった時に、
私の本性は顔を出した。
『何をやっているの。勉強していなかったの?』
親として言ってはならない言葉を娘にぶつけた。
二度も不合格になって、傷ついて倒れた子を、上から踏みつけにした。
勉強、してましたよ。
頑張ったのを知っていたのに。
私は娘を怒った。
娘はマシュマロみたいな頬に、丸くゆっくりと伝っていく涙をぬぐおうともせずに、下を向いていた。
娘が私と違うところは、静かなところだ。
黙って、私のぶつける怒りをただ受け止めるのだった。
あとから娘が話したことには、この時、『死んでやろうか』と思っていたのだという。
しかし、私の眼にはこう映っていた。
『なによこの静けさは・・・。この子には感情がないの。うるさいっ、あんな高校なんかいかない、とか、なぜ落ちたのかしら!どの問題を間違えたのかしら!とか何か感情が、ないの。悔しくないのが悔しいよ』
ほら、怖いでしょ。
私からは、感情がないと見えていたのに、
本人は死にたくなっているのだ。
この勘違い。
母親として、ありえない線を、平気で越えていた。あぶないあぶない。
怒りを感じている自分がおかしいのではなくて、『運命』のおかしさを嘆くばかりだった。
娘は、これまでずっと優等生できて、肝心な受験で涙を飲むなんて。
この『失敗』の原因はなんだったのかを考えた。
私は親として、そして娘も、『努力』が足りなかった。
他の人はもっとやっていた、ただそれだけのことだ、と結論付けて、
合格でお祭り騒ぎの保護者会で、私は必死で笑った。
心で泣いて、演技をした。
しかし、そうじゃなかったよ。
『それでよかった』。
『受かったところが良いところ』
これは、真実。慰めじゃなくて、ほんとうにそうだったよ。
結果は結果だけど、がっかりしたら損だよ。
喜ぶのもいいけど、次の受験では泣くことだってある。
合格はもちろん飛ぶように嬉しいけれど、
究極、子どもの心の健康、純粋な感情が護られること以上に、
大切なことはない。
傷ついている子に追い打ちをかけてはならないのだ。
その時はわからない、運命があるの。絶対に、『失敗』じゃなかった。
娘は、いわゆる『滑り止め』に行ったからこその、
大学受験・就職の『成功』『正解』が手に入ったと言える。
別に自慢じゃないし、『成功』『正解』って何よって思うし、
これからどうなるかなんてわからない。
要するに、
どっちでもいい、子どもが幸せならってことよ。
なので、どうかママさんたち、合格しても、
不合格でも、
『よく頑張ったね。おつかれさま』
だよ。お願いします。
合格が頑張った、不合格が頑張らなかったなんてことはない。全力で頑張ったのはみんな同じ。
ほんとうに、お疲れ様、だよ!

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