今から23年前、私はある地域新聞の記者として歩み始めました。
社主は当時70才くらいだったのでしょうか・・・。
生き字引きみたいな方で、なんでも教えて下さり、
なんでも知っている方でした。
その新聞のコラムが、『脚下照顧』という題でした。
会社に、社主が書かれたのか、看板もありました。
まだ30代前半の私には、難しい言葉だなぁ、くらいしか感じられず・・・。
その後、10数年が経ち、私がそのコラムを担当させてもらうことになりました。
前任者は大手マスコミのOBで、内容はいつも政治や行政に関することを、
鋭く書くのが人気でした。
私にできるかなぁ・・・、と思いました。
社主は、脚下照顧の意味を説いてくださいました。
『あなたの場合には、自分の身の丈で、生活の中で気づいたことを書かれたらよい』
とおっしゃり、私は取材の合間に気づいたことなどを書きました。
社主は鬼籍に入られましたが、
今も、会社があった街に行くと、
カメラが入った大きなカバンを持って、
大股で歩いていらっしゃるような気がします。
街を命がけで愛しぬいた生涯だったと思うのです。
私は当時、子が小さく、会社の片隅で母乳を上げたりしながら、
働かせてもらいました。
ばたばたしていました。
会社の本棚には、いろんな方の『自分史』がありました。
今はもう、それがないのです。
社主の話も聴けないし・・・。
自分史に出会い、学び、自分史の中には、人生の答えがすべてある、と
感じております。
ふと、脚下照顧、という言葉が浮かびました。
ああ、今、社主と、語り合いたい・・・、と強く思うこの頃です。
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